最近仕事で、今後のキャリアを考える機会があった。
2018年4月からコードを書いて生計を立て始めてから丸4年が経った。
大学時代
丸4年というと、大学4年間を全うしたのと同じ時間。ここで、改めて大学4年間を振り返ろうと思う。
大学入学前は、ただテレビの制作の仕事に就きたくて、マスメディア専攻がある大学に入学し、2年次のコース分けでメディアコースに進めるように真面目に授業を受けて、成績もそこそこだった。 無事メディアコースに進み、入りたかったゼミにも入り、あとはやたらと専攻が始まるのが早いテレビ局のESや面接に向けて、編集や撮影などの制作、当時の時事問題や、マスメディアのあり方について勉強していた。夏には短期だったがインターンにも参加した。
あの時の熱量は異常だったと思うw
最終的に、探偵○イトスクープを筆頭に、在阪局の番組を制作をしている制作会社に内定をいただいた。準キー曲は落ちた。
努力実って念願の制作の仕事に就けることになったが、この後、この内定を辞退することになる。
給与が低い…!
内定を貰うまでは、「自分のやりたいこと」という軸で探していたので、給与面はあまり重要視していなかった。というかどうでもよくなってた。
でも、いざ内定をもらって、労働契約通知書を見て、ふと我に返り、考え直してしまった。
「手取り15万もない、夜勤もある勤務体系で、もし体を壊したら…、十数年後はD、Pになれなかったら…?なっても家族を十分に養えなかったら…?」
そう考えてしまうと怖くなり、翌日には声を震わせながら内定辞退の電話を入れていた。
「動画編集だったら別に仕事にしなくても趣味でもできるよね…」と言い聞かせていたなそういえば。結局趣味ですらできてないけどw
内定は0になった。これが、2017年の6月である。友達は皆内定が出て落ち着いた時期である。
再就活
6月半ばにして、再就活が始まった。
とにかく説明会に参加しまくった。 もう制作局の求人はない(あってもお察し) ターゲットとなる業界を考え直すところから始まった。
番組を作って多くの人に新たな気づきや楽しみを与えたいな、以外に、「何をやりたいか、どうなりたいか」なんて、特にない。
当時プリンタ販売のバイトをしてたので、エ○ソンに応募したり、コンピューター周辺機器メーカーにアタックしたが、そんな生半可な気持ちではもちろんお祈りされる。
そんな中、出会ったのが、エンジニアとしてのキャリアを歩み始めるきっかけになった前職である。
積極的にアプローチし、とんとん拍子で内定をいただいた。 それまでプログラムなんて頭のいい人が作るものだと思っていたので、まさか自分がプログラムを書く側になるとは思わなかった。
ちなみに、このブログを始めたのはこの時期。
どんちゃん、エンジニアになる
いわゆるニコ厨だった時期があって、普段からパソコンやゲームには親しみがあった。
- PSPを改造したり
- 友達の「歌ってみた」をMIXしたり
- 家のネット回線が弱かったのでどうにかするためにゴニョゴニョしたり
- それが転じて大学生の頃には自作PCにチャレンジしたり
周りの友達の中では一番デジタルに強かった自信だけはあったけど、大体のことはググったり、雑誌を読めば誰でもできることで、感謝されたり、頼られるのは心地よかった。
ソフトウェアやサービスを使う側から作る側になる、というワクワクはあの頃がピークだったと思う。
ナニモワカラナイ状態から社内の研修から始まり、最初の数ヶ月は夜9時には寝るような生活が続いた。眠くて仕方がなかった。
慣れてきた頃、業後や休日にもくもく会や、勉強会に参加するようになる。 エンジニアのコミュニティも少しずつできてくる。
あの頃は、テレビも、ゲームも、恋愛も、学生の頃のアイデンティティであった旅行すらもどうでもいいと思ってた。今思うと頭おかしいけど、基礎となるスキルはこの最初の2年間があったからだと思う。
コロナウイルスの蔓延
エンジニアになって3年目、世間はコロナウイルスにより、オフラインイベントの自粛の嵐
僕が参加するようなオフラインでのもくもく会や勉強会も一網打尽となった。
それに比例して、これまでよく会っていた東京の友達も、誰かと同棲・結婚したり、遠くに引っ越したりして気兼ねなく会えなくなってしまったり。
ふと、自分が人と仲良くなる時のプロセスを振り返ってみると、コロナ禍の影響をモロに受けてるなと思った。
今まで仲良くなった人の多くは
- 何かしらのオフラインイベント or 友人の紹介で出会う
- 今後の交流のためにSNSを交換する
- SNSでのつぶやきがきっかけで会う予定を作る
を繰り返して今でもつながりがある人だ。
コロナ禍になると
- SNSでフォローする
- 何かしらリプを送る or いいねなどのアクションをする
- 「オフラインでお茶でもしませんか?」などしてオフラインの予定を組む
その人との最初の接点が、オフラインから、オンラインになった。
この変化に僕はついていけなかったんだと思うし、ついていこうという動機すらなかった。
人と繋がろうとする欲求はもう最初の数年で満たされていた。
ライスワーク・ライクワーク・ライフワーク
さて、ここからが本題です(長い)
僕がキャリアや生活を考えるときにベースとなっているのが、「ライスワーク」「ライクワーク」「ライフワーク」という活動・場の分類分けです。
僕が大学生の頃に知った概念だが、今調べてみると、「ライトワーク」が増えてましたが、今回は割愛。
概要は下記記事がわかりやすかったので下記記事を読んでみてください。 ライスワークから始まる人生の4つのステージを解説した | ビジネスブログ屋さん
というわけで、僕に当てはめてみました。
調子がいいとき(ほぼ前職) | いま | |
---|---|---|
ライスワーク | 仕事での電話対応とか、掃除とか、理不尽な怒られ | 慣れない場所、人に対する該当インタビューなど |
ライクワーク | 業務上のコーディング、システム構築 | 業務上のコーディング、システム構築 |
ライフワーク | 後輩にプログラミングを教える、技術記事を書く、Foursquareのベニューの編集、GoogleMapの情報編集 | 技術記事を書く |
ここでようやくタイトル回収をします。
なぜエンジニアをやってるかというと、コーディングが楽しくて、書いたコード、作ったシステムが誰かの役に立っていることを実感できるからだ。そしてライクワークであるからだ。
さらに分解していくと、「自分が手がけたもので、新たな気づきや楽しみを与えたい」という気持ちは軸にあると思う。これは学生の頃から変わっていない。
だから、極端な話、エンジニアリング以外の新しい領域を模索してもいいんじゃないかとも思っている。 大学1年生時ですら、4年後の未来予想は外れているので、今から4年後もどんな仕事をしているかなんてわからない(なんなら4年もプログラミングしてること自体奇跡なのではとすら思っている)
これまで4年間エンジニアリングの仕事を続けられているのは、自分の能力がたまたま仕事と合ったからだと思ってる。
初めは「潰しが効きそう」「プログラミングに興味がある」といった軽い気持ちで新卒入社した会社で育ててもらっているうちに、「自分は他の同期よりも適性がある」と感じ、はまっていった。
「興味の領域」「自分の能力の領域」この二つの領域の重なったところが、エンジニアだっただけのことである。
どう生きるか
人が仕事に求めている14の労働価値というのがあります。
能力の活用―自分の能力を発揮できること
達成―良い結果が生まれたという実感
美的追求―美しいものを創りだせること
愛他性―人の役に立てること
自律性―自律できること
創造性―新しいものや考え方を創りだせること
経済的価値―たくさんのお金を稼ぎ、高水準の生活を送れること
ライフスタイル―自分の望むペース、生活ができること
身体的活動―身体を動かす機会が持てること
社会的評価―社会に仕事の成果を認めてもらえること
危険性、冒険性―わくわくするような体験ができること
社会的交流性―いろいろな人と接点を持ちながら仕事ができること
多様性―多様な活動ができること
環境―仕事環境が心地よいこと
これらは、仕事に何を求めるか、という価値を14個に分類したものです。
全てを満たすことはできないという前提で、まず上位3つを決めます。
僕の場合、
ライフスタイル
達成
能力の活用
です。
同じ会社の人でも、千差万別の結果が出ると思います。
この価値観は、固定的なものではなく、仕事のフェーズや人間関係、情勢、結婚など、複合的な要因で変わるものだと思ってるので、来年には全然変わってるかも。
今はこんな価値観だし、今後もこの価値観で仕事をしていきたいと思います。
ライフスタイルは他人からとやかく言われたくないので、基本的にはそっとしておいてくださいw仲良くなったら話しましょう〜。
それで?
今回このエントリを書くのは、CTOからUI/UXデザイナーへの転身を提案されたことがきっかけです。 ダラダラと綴ってきましたが、結論から言うと転身はしません。
ちょっと齧っただけの素人の僕が、プロのデザイナーと同水準の成果を上げられるとは思わないし、キャッチアップや遅れているスキルを取り戻すためにライフスタイルを犠牲にはできない。
本当にやりたいことなら、すでに仕事外でやってるはずなので。
先のことはわからないし、わかりたくもないけど、まずは目の前のことをこなせるだけのスキルを身につけていこうと思います。
この記事を書いてる間に、思っている以上に保守的だなぁと思いました(主観)
おわり!